2013年5月17日金曜日

Simon Bakerのインタビューより

オランダの「foam」マガジン最新号に載っていた、Tateの写真キュレーターSimon Bakerのインタビューがわりと面白かった。
内容自体は特に大したことを言っているわけではないのだけれど、関心を持っている点が「うんうん、そうだよね」と(世間話レベルで)甚く共感できた。

Simon BakerはTate(Tate Modern、 Tate Britainなど全部で4つの美術館がある)初の写真キュレーター。就任後Taryn Simonの"A Living Man Declared Dead and Other Chapters"(2011)や最近ではWilliam Klein + Daido Moriyama (2012)などの大きな写真展をTate Modernでキュレーションしている。僕は前者しか観ていないけど、あれは偉大な展示だった。
加えて、Tateで最近写真のコレクションを増やしまくっていると言われている。

彼が言っていたことを大雑把にまとめると2点で、
1)多様化していく写真をどう比較し、評価するかが難しいし面白い
2)写真は展示、プリントという形と写真集という大きく2つの楽しみがある
ということで、実にまったくその通りだと思う。

写真の表現が多様化しているということについては、Deutsche Borse Prize(ロンドンのThe Photographers' Galleryで展示を伴って開催される大きな写真賞)のノミネート作家を見ればよくわかる。
今年はMishka Henner, Broomberg and Chanarin, Chris Killip, Cristina De Middelの4組。そのうちMishka HennerとBroomberg and Chanarinの作品は自分で写真を撮っていない。彼らを写真集で一躍話題となったCristina De MiddelやドキュメンタリーのChris Killipとどう比較するかというのは相当に難しい。(個人的には迷わずBroomberg and Chanarinですね。)
ちなみに昨年の受賞者John Stezakerはポストカードを貼り合わせたりする作品をずっと作ってきた大巨匠で、この人もカメラは使わない。

(©Broomberg and Chanarin)


さらにSimon Bakerは、次にフォトグラファーがいつターナー賞を取るかがより興味深いと言っている。写真界で最初で最後のターナー賞作家はWolfgang Tillmansだが、それももう2000年のことで、10年以上経っている。Simonのような立場の人は、ターナー賞候補のロングリストを選ぶ人達がしかるべき写真作品にきちんと出会えるように努めるべきだと言っているが、全くその通りだなぁと思うし、ちゃんとその職責を全うしてほしいものだ。


2つ目の写真集も写真もどっちもいいいよね、というのも甚く共感できる。
プリントと写真集のどっちが偉いか、みたいなつまらないことは完全にどうでもよくて、要するに「写真集もプリントも楽しめる写真愛好家ってハッピーだよね」ということに尽きる。

”これからの写真とつながりを持っていたかったら、ロンドンや住んでいる街のいいインディペンデント・ブックショップで行かなくてはならないし、ゆっくりと本を眺めたり、本を作っている人たちに会うのはいつだって得るものが多いよ”(Foam Magazine #34, p.18, 僕のテキトー訳)
と言っているが、全くもってその通りだ。Tateのキュレーターですら僕らと同じことをやっている(僕はDonlon BooksのBook Signingとかで彼に会ったことことはないけど)。

(©Christina De Middel)


写真と写真集について彼が言っていたことで面白いのは、素晴らしい写真集だからといって展示にしたときにいいかどうかはわからない、ということだ。
例えば上述のMiddelの作品集"Afronauts"は去年大ブレイクして、今では絶版となって超高額で売られている。Simonはこの作品集がマスターピースだと認めているが、その展示なんてほとんど誰も観たことがないし、そもそも本当に観たいかどうかというのも微妙なところだ。
これが他の作家とともに展示としてどう対峙できるか、ということが今年のDeutsche Borse Prizeのひとつの見どころではないかと思う。

2013年5月8日水曜日

美術の力は正しい展示環境でのみ十分に発揮されることについて

GWの美術館めぐり第2弾。二人目のフランシスさん、フランシス・ベーコン展について。
(もうひとりのフランシス・アリスさんについてはコチラ

2.  『フランシス・ベーコン展』@東京国立近代美術館
フランシス・ベーコンは20世紀で最も偉大なペインターの一人であり、リヒターと並んでマーケットでも最も高い価格で作品が取引されるアーティストの一人。
没後の大規模個展としては日本を含むアジア初ということなので、当然に期待は高かったわけだが、個人的にはあまりピンと来なかった。

33点という作品数がいまいち物足りないということについては、それだけでも時価総額100億円は超えるだろうと思われることや、作品を集めること自体の大変さを考えれば多めに見ざるを得ないかなと思う。

一番残念だったのは、近代美術館の展示室そのものがあまりにイケていないということで、こればかりはもうどうしようもない。
雑居ビルのような低い天井と鬱陶しい柱のでっぱりに囲まれていては、ベーコンの絵画の凄まじさはなかなか伝わらない。スペースが作品の力を殺してしまっている感じがして非常に残念だった。

僕はベーコンの作品をクリスティーズ、サザビーズのオークションハウスの展示室で何度か見たことがある。
当然にそのシーズンのオークションの目玉の1つであり(だいたい一番高価な作品はベーコン、ウォーホル、リヒターのどれかなのだ)、一番いいところで展示される。
オークションハウスの展示室というのは実は素晴らしいところで、空間・ライティングも含めて商品たる作品の魅力を最大限発揮できるような展示はミュージアムに全然負けていない。
ゴージャスなオークションハウスの大きな展示室の中央に正しく飾られたとき、ベーコンの絵画とはその一室の空間を支配するくらいの強烈な存在感を放っていた。
そこには周囲の作品を霞ませ、観るものの惹き付けて放さない圧倒的なアウラがあった。

それが今回の近代美術館の展示では感じられなかった。
それが作品そのものが十分に魅力的でなかったせいなのか、
僕の感受性の鈍りのせいなのか、展示されている環境のせいなのか、確実なことは言えない。
でも、僕としては同じ作品を別の空間で観ることができたら、まったく違うものが見えたのではないかと思ってしまう。

ハコを作ったり変えたりするのは簡単ではないけど、正しいハコを選んだり、ハコにあった作品を選ぶということがいかに重要かということを二人のフランシスにあらためて考えさせられました。


2013年5月5日日曜日

辺境の地日本ではビデオアートを積極的に紹介してほしいことについて

今年のGWは並びも悪く、また仕事のことで頭がいっぱいで旅行なんか行く気にもならないので、連日美術館巡りを繰り返している。
東京で今観れるものの目玉は二人のフランシス、アリスとベーコンの個展だろう。

というわけで、ひとつ目はフランシス・アリスさんについて。

1. 『フランシス・アリス展 メキシコ編』@東京都現代美術館
行ってみたらなぜか『桂ゆき展』なるものが1F以上のフロアを占めており、肝心のフランシス・アリスはB1Fのみだったのでちょっとがっかりしたが、実際は1フロアだけでも十分な見応えがある。
というか、ほとんどがビデオ作品で観るのにたいへん時間がかかるので、全館でやられたりしたらとても一日では観きれなくなったろう(もしくは作品が足りなかっただろう)。

竜巻に飛び込んでみたり砂山を動かしてみたり、彼の作品は力強さとともに、生身の人ではどうにも立ち向かえないものに対する救いがたい無力感と不毛さを併せ持っていて、それがなんとも言えない共感を生む。ぐっと来る。

加えて、フランシスさんご本人が長身でなかなか絵になる人なので、映像がどれもかっこよく仕上がる。
フランシス・アリスはメキシコをずっと拠点にしているせいでメキシコ人みたいなイメージになってたけど、ベルギー人なんですね。

個人的には竜巻シリーズの長いビデオをふとんに寝転がって観れるのはとてもステキだった。

こういうビデオ作家の展示はなにしろお金がかからないはずなので(シッピングが圧倒的に楽だから)、辺境の地日本ではもっと積極的にやってほしいですね。

ちなみに僕はビデオ作品というものを一度も買ったことがないのだけど、手頃な値段で面白いものがあれば是非買ってみたい。
そのうち個人コレクターが集まって自分の持っているビデオ作品を披露する上映会みたいなことをやりたいですね。