2013年7月21日日曜日

米田知子さんの個展と写真の話2:作品の話

前回の続き。米田知子さんの写真について。

米田さんの写真を通じて知った、写真の面白さとは何か。
それはひとつに、自分が見ていると思っているものの不確かさを明らかにしてくれることだと思う。
米田さんの写真はひとつのイメージとしてとても美しいので、魅力的である。
だが、そのシーンの持つ歴史的な背景を知るとイメージの見え方や観るものにとっての意味がまるで変わってしまう。
観光客で賑わうビーチの風景はいかにも平和的だが、タイトルを見るとそれが第二次世界大戦中に壮絶な戦闘が行われたノルマンディー上陸の場だったり。

Beach: location of the D-Day Normandy landings, Sword Beach, France (2002)


米田さんの作品でもとても人気が高く、僕も一番好きなシリーズが歴史上の有名人の眼鏡を通じてその人にまつわる文章を見た"Between Visible & Invisible"というシリーズだが、このシリーズのタイトルこそ米田さんの写真のアプローチとテーマを象徴している。
名作。


米田さんの写真の魅力その2。
専門的な知識がない人にとっても、1枚の写真をわりと長時間鑑賞することができること。

どんなに素晴らしい作品でも、一枚のイメージと何分・何十秒もの間向かい合っていることは簡単ではない。
それには観る側にもそれなりの能力が求められる。

ケネス・クラークというえらい美術史家が本の中で、
美術史を知ること(というか美術を理解するための知識や情報を得ること)のよさは、
結局それによって1つの絵画をより長い時間楽しめるということだ、
という趣旨のことを書いていた。

それはつまり、単純に美しい絵画に感嘆して眺めているよりも、
技術的な側面から検討したり、美術史的な意味合いについて考えてみたり、
作品のモチーフやその歴史的背景について思いを馳せたり、
などと様々な側面から観ることで、一枚の作品をいろんな楽しみ方ができる。


米田さんの作品はもう少し敷居の低い形で、一枚のイメージを長い時間楽しませてくれる。

まず、作品の正面に向かってその静謐で美しいイメージに素直に心ひかれる。
次に作品に近づき、タイトルを見る。
するとそのイメージが自分にとって別の意味を持つようになり、もう一度イメージを再度見直してみることになる。
蒋介石やらヒトラーやら谷崎やら、歴史上の人物について考えてみたり、高校時代に詰め込んだ歴史的出来事に関する知識が蘇ってきて、イメージの意味合いが膨らんでくることもある。
イメージとタイトルの往復によって、美術的・写真的知識をあまり必要としない形で自然に解釈と理解が拡大していく。
これが楽しい。

そのような味わい深い楽しみ方をさせてくれる写真を扱っているアーティストは、残念ながら日本ではあまりいない。
僕は米田さんを通じてそういう写真の読み方を体験的に知った。

というわけで、より多くの人に今回の写真美術館での展示を通じて同じような体験をしてもらいたいなぁと思います。

米田知子さんの個展と写真の話1:個人的思い出編

東京都写真美術館で米田知子さんの個展が始まった。
初日に森美術館チーフキュレーターの片岡真実さんとのトークが会ったので、聞きにいってみた。

米田さんの写真は個人的にすごく好きで、特別な思い入れがある。
2008年の原美術館での展示がいまでもすごく印象に残っており、
あのときの展示で写真を見ること、読むことの面白さを知った。

僕が写真に興味を持ったのは多分2007年くらいで、
米田さんの展示を見たあたりから撮ることより見ることに関心が移り、
やがて仕事を辞めてロンドンに移り住む。
それから1年ほどしてご本人にお会いする機会を得た。
そのままレバノン料理を食べ、SOHOのバーで明け方まで一緒にお付き合いさせて頂いた。
その後はときどき飲みに連れてって頂き、作品をプリントする現場にも立ち会わせてもらっている。
ご本人は作品の雰囲気からは全く想像できない、相当にお茶目でチャーミングな方です。
実に素敵な出会いだった。

4年くらい前にサラリーマン・コレクターの宮津大輔さんにお話を伺ったとき、
映画やサッカーと違って、アートは自分にとってのスーパースターに実際に会ったり直接コミュニケーションできるのが素晴らしい、というような趣旨のことを仰っていたが、それは本当にその通りだ。
米田さんは僕にとってまさにそういう方だった。

そもそも米田さんの写真を通じて知った、写真の面白さとは何か。
という話はまた次回。

2013年6月17日月曜日

南場智子『不格好経営』は大変面白い本です

この本は本当に面白い。
そして感動的である。


第1章から第6章まではDeNAという会社と南場さんご自身の歴史になるので、
これは「伝記」と思っている読めばいい。
多くの優れた伝記同様に、そこにはフィクションにも劣らぬドラマがあり、
他人の経験から学ぶべき教訓も多い。

そしてなにより、その物語に自分自身が刺激され、励まされる。
すべてを注いで仕事に取り組んだ成果が世に出したとき、目標が達成されたときの高揚感を擬似的に体験し、
それを実体験するために明日からまた頑張ろうと思わせてくれる。


第7章「人と組織」はキャリアやスキルに関する人材論・組織論的内容で、
DeNAという会社に特に興味のない人はこの章だけ立ち読みするとよい。
グローバル資本主義社会のひとつの頂点マッキンゼーでパートナーまで登りつめ、
その後はベンチャーを売上高2000億円企業にまで育てた稀代の経営者の語る人材論なので、それなりに参考になるはず。

たとえば、コンサルタントと事業リーダーの違い」というのは「胆力」にあるといったことや、
優秀さにもいろんな幅があるということは、実際にコンサルと事業とを両方かじってみると非常によくわかる。


それにしても、この本を読んでみると、マッキンゼーというプロフェッショナルファームのパートナーという仕事と、
ベンチャー企業の経営者との仕事をギャップは本当に天と地ほど違うように思えて、
その2つをジャンプした南場さんの勇敢さと志にあらためて舌を巻く。
世間的に見ても完璧に「格好いい」成功したキャリアと生活スタイルを実現していた南場さんにとって、明日も見えない世界で泥にまみれて戦うベンチャーの世界は本当に「不格好」なものだったのだろう。
でも、それを成し遂げた南場さんは誰がどう見ても最高に格好いい経営者だと思う。

僕もこの人と仕事がしたいです。不格好でいいから。



2013年6月9日日曜日

中途半端はきついよね、というシャーロット・コットンの話

写真雑誌IMA最新号のシャーロット・コットンの連載がまた今回も面白い。

若い才能が出てくるのを見つけるのは楽しいよねっていうことは甚く共感しつつ、
今回も僕の知らない作家を見つけてきて紹介しているシャーロットさんに感謝しつつ羨みつつ、今回は写真の世界の構造の話が面白いので紹介する。

シャーロットさんは写真の世界の構造を映画の世界との比較で説明している。
曰く、
a) 映画の世界では、大規模資本の豪華大作が安定したニーズを確保
b) 一方、インディペンデント映画が発表の機会を得て、人気作品が広がっていく仕組みも確立
c) 紋切り型の中途半端な映画は全然駄目
という構造になっており、彼女の説明によれば写真も似たようなものである、と。

つまり、
a) 世界の巨匠(たとえばデュッセルドルフスクール)は安定した地位を確立し、その作品は世界の美術館を巡回し、グローバルアートワールドでは1千万円以上で取引される
b) 一方、若手作家やインディペンデント出版社の世界も元気で、アートワールドとは一線を画しつつ盛り上がり中
c) 一流出版社や伝統的なギャラリーに依存した中庸写真家達は、上記どちらの流れにも乗れず厳しい状況にある。
ということで、全くその通り、非常にわかりやすい説明だと思う。

問題は、どうすれば世界の巨匠の世界(a)に昇りつめられるかということで、これが大変難しい。
作家にとっても一大事だし、僕のように将来(a)まで成り上がれる才能をいち早く発見することに情熱を燃やしている変わり者にとっても一大事である。

間違いないのは、c)からa)に進んでいく道はまず存在しないということだ。
かといって、a)で盛り上がった作家がc)まで出世していくことも想像しがたい。

このへんについては思うところあるが、余計なことを書くと(もう書いている気がするが)いろんな人の反感を買うのでやめておくことにする。

結論的には、
作家は自分のゴールを定めて、ちゃんとそれに辿り着けるルートでキャリアを築こう
(入り口を間違えると行きたいゴールに出られない)、
ということでしょうか。

2013年5月17日金曜日

Simon Bakerのインタビューより

オランダの「foam」マガジン最新号に載っていた、Tateの写真キュレーターSimon Bakerのインタビューがわりと面白かった。
内容自体は特に大したことを言っているわけではないのだけれど、関心を持っている点が「うんうん、そうだよね」と(世間話レベルで)甚く共感できた。

Simon BakerはTate(Tate Modern、 Tate Britainなど全部で4つの美術館がある)初の写真キュレーター。就任後Taryn Simonの"A Living Man Declared Dead and Other Chapters"(2011)や最近ではWilliam Klein + Daido Moriyama (2012)などの大きな写真展をTate Modernでキュレーションしている。僕は前者しか観ていないけど、あれは偉大な展示だった。
加えて、Tateで最近写真のコレクションを増やしまくっていると言われている。

彼が言っていたことを大雑把にまとめると2点で、
1)多様化していく写真をどう比較し、評価するかが難しいし面白い
2)写真は展示、プリントという形と写真集という大きく2つの楽しみがある
ということで、実にまったくその通りだと思う。

写真の表現が多様化しているということについては、Deutsche Borse Prize(ロンドンのThe Photographers' Galleryで展示を伴って開催される大きな写真賞)のノミネート作家を見ればよくわかる。
今年はMishka Henner, Broomberg and Chanarin, Chris Killip, Cristina De Middelの4組。そのうちMishka HennerとBroomberg and Chanarinの作品は自分で写真を撮っていない。彼らを写真集で一躍話題となったCristina De MiddelやドキュメンタリーのChris Killipとどう比較するかというのは相当に難しい。(個人的には迷わずBroomberg and Chanarinですね。)
ちなみに昨年の受賞者John Stezakerはポストカードを貼り合わせたりする作品をずっと作ってきた大巨匠で、この人もカメラは使わない。

(©Broomberg and Chanarin)


さらにSimon Bakerは、次にフォトグラファーがいつターナー賞を取るかがより興味深いと言っている。写真界で最初で最後のターナー賞作家はWolfgang Tillmansだが、それももう2000年のことで、10年以上経っている。Simonのような立場の人は、ターナー賞候補のロングリストを選ぶ人達がしかるべき写真作品にきちんと出会えるように努めるべきだと言っているが、全くその通りだなぁと思うし、ちゃんとその職責を全うしてほしいものだ。


2つ目の写真集も写真もどっちもいいいよね、というのも甚く共感できる。
プリントと写真集のどっちが偉いか、みたいなつまらないことは完全にどうでもよくて、要するに「写真集もプリントも楽しめる写真愛好家ってハッピーだよね」ということに尽きる。

”これからの写真とつながりを持っていたかったら、ロンドンや住んでいる街のいいインディペンデント・ブックショップで行かなくてはならないし、ゆっくりと本を眺めたり、本を作っている人たちに会うのはいつだって得るものが多いよ”(Foam Magazine #34, p.18, 僕のテキトー訳)
と言っているが、全くもってその通りだ。Tateのキュレーターですら僕らと同じことをやっている(僕はDonlon BooksのBook Signingとかで彼に会ったことことはないけど)。

(©Christina De Middel)


写真と写真集について彼が言っていたことで面白いのは、素晴らしい写真集だからといって展示にしたときにいいかどうかはわからない、ということだ。
例えば上述のMiddelの作品集"Afronauts"は去年大ブレイクして、今では絶版となって超高額で売られている。Simonはこの作品集がマスターピースだと認めているが、その展示なんてほとんど誰も観たことがないし、そもそも本当に観たいかどうかというのも微妙なところだ。
これが他の作家とともに展示としてどう対峙できるか、ということが今年のDeutsche Borse Prizeのひとつの見どころではないかと思う。

2013年5月8日水曜日

美術の力は正しい展示環境でのみ十分に発揮されることについて

GWの美術館めぐり第2弾。二人目のフランシスさん、フランシス・ベーコン展について。
(もうひとりのフランシス・アリスさんについてはコチラ

2.  『フランシス・ベーコン展』@東京国立近代美術館
フランシス・ベーコンは20世紀で最も偉大なペインターの一人であり、リヒターと並んでマーケットでも最も高い価格で作品が取引されるアーティストの一人。
没後の大規模個展としては日本を含むアジア初ということなので、当然に期待は高かったわけだが、個人的にはあまりピンと来なかった。

33点という作品数がいまいち物足りないということについては、それだけでも時価総額100億円は超えるだろうと思われることや、作品を集めること自体の大変さを考えれば多めに見ざるを得ないかなと思う。

一番残念だったのは、近代美術館の展示室そのものがあまりにイケていないということで、こればかりはもうどうしようもない。
雑居ビルのような低い天井と鬱陶しい柱のでっぱりに囲まれていては、ベーコンの絵画の凄まじさはなかなか伝わらない。スペースが作品の力を殺してしまっている感じがして非常に残念だった。

僕はベーコンの作品をクリスティーズ、サザビーズのオークションハウスの展示室で何度か見たことがある。
当然にそのシーズンのオークションの目玉の1つであり(だいたい一番高価な作品はベーコン、ウォーホル、リヒターのどれかなのだ)、一番いいところで展示される。
オークションハウスの展示室というのは実は素晴らしいところで、空間・ライティングも含めて商品たる作品の魅力を最大限発揮できるような展示はミュージアムに全然負けていない。
ゴージャスなオークションハウスの大きな展示室の中央に正しく飾られたとき、ベーコンの絵画とはその一室の空間を支配するくらいの強烈な存在感を放っていた。
そこには周囲の作品を霞ませ、観るものの惹き付けて放さない圧倒的なアウラがあった。

それが今回の近代美術館の展示では感じられなかった。
それが作品そのものが十分に魅力的でなかったせいなのか、
僕の感受性の鈍りのせいなのか、展示されている環境のせいなのか、確実なことは言えない。
でも、僕としては同じ作品を別の空間で観ることができたら、まったく違うものが見えたのではないかと思ってしまう。

ハコを作ったり変えたりするのは簡単ではないけど、正しいハコを選んだり、ハコにあった作品を選ぶということがいかに重要かということを二人のフランシスにあらためて考えさせられました。


2013年5月5日日曜日

辺境の地日本ではビデオアートを積極的に紹介してほしいことについて

今年のGWは並びも悪く、また仕事のことで頭がいっぱいで旅行なんか行く気にもならないので、連日美術館巡りを繰り返している。
東京で今観れるものの目玉は二人のフランシス、アリスとベーコンの個展だろう。

というわけで、ひとつ目はフランシス・アリスさんについて。

1. 『フランシス・アリス展 メキシコ編』@東京都現代美術館
行ってみたらなぜか『桂ゆき展』なるものが1F以上のフロアを占めており、肝心のフランシス・アリスはB1Fのみだったのでちょっとがっかりしたが、実際は1フロアだけでも十分な見応えがある。
というか、ほとんどがビデオ作品で観るのにたいへん時間がかかるので、全館でやられたりしたらとても一日では観きれなくなったろう(もしくは作品が足りなかっただろう)。

竜巻に飛び込んでみたり砂山を動かしてみたり、彼の作品は力強さとともに、生身の人ではどうにも立ち向かえないものに対する救いがたい無力感と不毛さを併せ持っていて、それがなんとも言えない共感を生む。ぐっと来る。

加えて、フランシスさんご本人が長身でなかなか絵になる人なので、映像がどれもかっこよく仕上がる。
フランシス・アリスはメキシコをずっと拠点にしているせいでメキシコ人みたいなイメージになってたけど、ベルギー人なんですね。

個人的には竜巻シリーズの長いビデオをふとんに寝転がって観れるのはとてもステキだった。

こういうビデオ作家の展示はなにしろお金がかからないはずなので(シッピングが圧倒的に楽だから)、辺境の地日本ではもっと積極的にやってほしいですね。

ちなみに僕はビデオ作品というものを一度も買ったことがないのだけど、手頃な値段で面白いものがあれば是非買ってみたい。
そのうち個人コレクターが集まって自分の持っているビデオ作品を披露する上映会みたいなことをやりたいですね。